クラシック音楽のラヴェルと言えば、あの「ボレロ」を作曲したフランスの作曲家です。
ラヴェルの曲はボレロ意外にも、フランス印象派時代を代表する色彩豊かな曲がたくさん!

へみ
初心者さんでも分かりやすい「美しさ」があって、全曲聴きたくなっちゃいます♪
そこでこの記事では、ラヴェルの作曲家人生とともに「名曲7選」をお届けします!
目次
ラヴェルの作風や人柄
ラヴェルは1875年生まれ、フランスの作曲家です。
母親がスペインの血を引いていて、ラヴェル自身もスペイン文化の影響を色濃く受けて育ちました。
14歳でパリ音楽院に進学し、ガブリエル・フォーレなど「フランスの前衛的な作曲家」たちから指導を受けました。
ラヴェルの作風は?
そんなラヴェルの作風の特徴は以下の通りです。
- クラシック音楽の「ルール」を厳格に守る
- 精巧な譜面は「スイスの時計職人」と呼ばれるほど完璧
- 幻想的な中にどこか東洋の響きがある
基本はフランス印象派時代の作曲家らしく「色彩豊か」な曲が多いです。

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が、ラヴェルの音楽をよくよく研究してみると、クラシック音楽のルールが厳格に守られていることが分かりますよ
同じ時代に活躍したドビュッシーが「クラシック音楽のルールを破壊する」傾向にあったのに対し、ラヴェルは古典的な形式美を守り抜いた作曲家でした。
ラヴェルの人柄は?どんな人だった?
精巧な楽譜を書いたことから分かるように、ラヴェルは私生活も「完璧主義」「神経質」だったと言われています。
同時に人格者であったラヴェルは、人への気遣いも完璧にこなし友人も多かったとか。

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音楽界でも師のフォーレはもちろん、友人がほとんどいなかったドビュッシー、音楽的な賛同者が少なかったサティなどとも深い交流がありました。
そして恋愛面では全く噂がなく、最期まで独身を貫いたラヴェル。
一説にはゲイの疑惑があるのですが、本人は何も語らないまま脳疾患で亡くなっています。
ラヴェルの名曲7選!クラシック音楽のルールを密かに守った巧妙テクニック

それでは、幻想的だけど精密なラヴェルの名曲を7つ紹介します!
華々しい活躍と、本人に影響を与えた出来事を絡めつつ解説していきますね。
亡き王女のためのパヴァーヌ
作曲年:1899年(24歳)
パリ音楽院に入学してから10年目の作品です。
パヴァーヌというのはバロックダンスの一種で、バッハが活躍していた頃の「貴族の踊り風」な繊細な雰囲気。

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形式はA-B-A-C-A-B-Aという小ロンド形式(クラシック音楽の代表的な形式)です。
形式を重んじながらも、それを感じさせない色彩豊かな表現が魅力的ですよね。
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水の戯れ
作曲年:1901年(26歳)
こちらも在学中の作品で、前述の「亡き王女のためのパヴァーヌ」と一緒に初演されました。
実はこの曲、初演はあまり評価が高くなかったんです。

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あえて不協和音を多用しているので「なんかよく分からないかも…」と思われてしまったのかもしれませんね。
現代ではラヴェルの立派な代表作で、水の動きをここまで繊細に表現した曲は二つとないと言われています。
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スペイン狂詩曲
作曲年:1907年(33歳)
パリ音楽院在学中から、当時の音楽家の登竜門「ローマ賞」に挑戦していたラヴェル。
ですが、2回目で三位を受賞したくらいで、後はぱっとした成績を収められませんでした。

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ここで抗議したのはラヴェル本人ではなく、なんと一般市民。
抗議が殺到した「審査員でありパリ音楽院院長のデュボワ」が辞任に追い込まれるなど、ラヴェルの音楽はパリで市民権を得ていました。
この頃からオーケストラのための作曲・編曲も手掛けるようになったラヴェル。
スペイン狂詩曲も大ヒットで「ラヴェルはオーケストレーションもただ者ではない」と世に知らしめる作品となりました。
母親のルーツであるスペイン風の舞曲が、表情豊かに描かれています。
ダフニスとクロエ
作曲年:1912年(37歳)
ラヴェル初のバレエ作品であり、同時に最も苦労して作り上げた作品です。
依頼を受けての制作でしたが、初めてのバレエ作品、制作側とのすり合わせが難航したこともあって1年以上もかかってしまいました。

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ほかにも数々の「ゴタゴタ」があって、バレエ作品としては当初微妙な評価だったそうです。
ですがラヴェルの音楽は大好評で、今日でもコンサートピースとして人気。
初演前にラヴェル自身が発表した「第1組曲」「第2組曲」、特に第2組曲は繊細さとダイナミックさの対比が素晴らしく聴きごたえ抜群ですよ。
クープランの墓より「メヌエット」
作曲年:1917年(42歳)
第一次世界大戦(1914年~18年)や大戦中の母の死が影響し、この頃からラヴェルの作曲スピードは大幅に落ちてしまいます。

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周囲の人を大切にするラヴェルだったからこそ、身近な人の死がモチベーションに大きく影響したのでしょう。
このクープランの墓は戦死した知人たちに送った曲を組曲にしたのもので、ベースは「作曲家クープランの時代」のバロック舞曲です。
バロック音楽と、ラヴェルの思い出が合わさり、良き時代を懐古するような物悲しさがあります。
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ボレロ
作曲年:1928年(53歳)
ダフニスとクロエ同様、依頼を受けて作曲されたバレエ音楽です。
主題2つが繰り返し演奏されるだけのシンプルな構成で、リズムは一定、音量は曲全体(15分)かけて徐々に大きくなっていくという、ある種「実験的」な曲ですよね。

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ところがこの曲も、ラヴェルの予想に反し大ヒットします。
世界中のオーケストラがこぞって録音し始めたことに、ラヴェルはかなりびっくりしていたそうです。
左手のためのピアノ協奏曲
作曲年:1930年(55歳)
第一次世界大戦以降は、クラシック音楽自体があまり聴かれなくなってきます。
ジャズやポップス、フランスでもエリック・サティなどの「喫茶店で気軽に聴けるような」音楽が流行るようになり、次第にラヴェルの音楽も街から消えていきました。
そんな中ラヴェルはアメリカで演奏旅行を開催し、大成功を収めます。

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同時にガーシュウィンを始めとする「ジャズ文化」にふれ、大きな感動を覚えました。
この「左手のためのピアノ協奏曲」もジャズ要素が強くて、特にゆったりした2楽章にジャズっぽい和音が多用されています。
ショパンやラヴェルなどの超絶技巧と、ジャズ要素がミックスされた画期的な協奏曲です。
ラヴェルの晩年

アメリカでの演奏力の少し前から、ラヴェルは失語症や記憶障害が表れ始めていました。
あれだけ精巧だった記譜もミスが少しずつ増えていき、1曲を完成させるのに膨大な時間が費やされます。

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50代後半からは、手紙を書くのにも1語1語辞書を引かないといけないような状態になり、同時にぼーっとするような時間が増えていったそう…
頭の中には音楽が鳴っているのに、うまくアウトプットできない状態。かなり苦しかったようで、癇癪を起す場面も多かったと言います。
最期は「脳疾患がないか調べる」手術の予後が悪くてそのまま亡くなってしまったと言います。
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アメリカでの演奏旅行で「世界的に大人気」となったラヴェル。
多くのピアニスト・オーケストラがラヴェルの楽曲を演奏していて、名盤が数えきれないほど存在します。
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