ベートーヴェン像を捏造した男|秘書シントラーの嘘を検証する

私たちが思い浮かべる「ベートーヴェン像」――苦悩と闘い、運命をねじ伏せた孤高の楽聖。この像を最初に大きく描いたのは、本人ではありません。

死後に最初の本格的な伝記を書いた、元秘書アントン・シントラーです。そして20世紀後半、そのシントラーが資料を捏造していたことが明らかになりました。

2025年には、この事件を描いた日本のノンフィクションが映画化され、あらためて注目を集めています。シントラーが何を、なぜ歪めたのか、そして「本物のベートーヴェン」とはどんな人だったのかを見ていきます。

目次

「ベートーヴェンの友」を名乗った男

アントン・シントラーは、音楽家を志しながら大成しなかった人物です。ヴァイオリンを弾き、法律をかじり、やがて偉大なベートーヴェン(ベートーベン)に接近して、その身の回りの世話役の一人になりました。

手紙の代筆、用事の使い走り、出版社との交渉まで引き受け、名刺には「ベートーヴェンの友(アミ・ドゥ・ベートーヴェン)」と刷り込んでいたといいます。とはいえ二人の関係は、終始なごやかだったわけではありません。

猜疑心の強かったベートーヴェンは、しばしばシントラーを疎んじ、距離を置いた時期もありました。傍からは、献身的というより、つきまとう存在に見えることもあったようです。

転機は、ベートーヴェンの死の直後でした。遺言執行人だった親友シュテファン・ブロイニングが、後を追うようにわずか2ヵ月で病没すると、事情をよく知らないその未亡人が、夫の保管していたベートーヴェン関係の資料一式をシントラーに託してしまいます。

こうして彼は、故人の記録の事実上の独占者となりました。そして1840年、世に先がけて『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記』を出版します。

その中で彼は、自分こそがベートーヴェンの真実を知る唯一の親友であったかのように記述し、ほかの近しい人々を意識的に低く描いた、と青木やよひは指摘しています。

1977年、東ベルリンの衝撃

シントラーの伝記には、当初から疑いの目が向けられてきました。決定的だったのは1977年です。

まず批評家ペーター・シュタドレンが、メトロノーム表示などをめぐるシントラーの書き込みに不審な点を見つけて疑義を呈し、同年、東ベルリンで開かれた国際ベートーヴェン学会で、研究者ダグマール・ベックとグリタ・ヘレが、ベートーヴェンの「会話帳」が組織的に改竄されていることを発表したのです。華やかな祝典の場に投じられた、小さな、しかし激震を呼ぶ報告でした。

難聴のベートーヴェンが筆談に使った会話帳は、もともと400冊ほどあったとされます。シントラーは、そのうち半数以上を「価値がない」として無断で破棄していました。

それだけでも問題ですが、罪はさらに重いものでした。残った会話帳に、ベートーヴェンの死後、自分の言葉をあとから書き加えていたのです。

ありもしないやりとりをでっちあげ、自分の伝記の記述を裏づける「証拠」を捏造していました。決め手は、科学的な検証でした。

インクの分析や筆跡の鑑定、そして前後の本物の記述とのつじつまの合わなさから、それらの書き込みが後年に加えられた偽筆だと突き止められたのです。現存する会話帳のうち数十冊、延べ200ページを超える書き込みに、こうした改竄の疑いがあるとされています。

何のための捏造か ──「唯一の親友」と「道徳的芸術家」

シントラーの動機は、大きく二つに整理できます。

一つは、自分の存在を大きく見せることでした。彼は伝記の中で、十数年にわたる無給の秘書だったかのように装いましたが、実際にベートーヴェンと親密だった時期は晩年の5年ほどにすぎず、しかも報酬も受け取っていたことが、のちの研究で分かっています。

もう一つは、ベートーヴェンを「道徳的な芸術家」に仕立てることでした。青木は、シントラーがこの方向に熱心だったことを具体例で示しています。

たとえば、ベートーヴェンがモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を不道徳だと非難した、という有名な逸話。青木は手元のシントラーの伝記(1860年版)を確かめても該当箇所が見当たらないこと、そしてこの「非難」にはまったく信憑性がないことを指摘します。

実際のベートーヴェンは「ドン・ジョヴァンニ」の旋律を自作の変奏曲に二度も用い、その上演の成功を喜ぶ手紙さえ残しているのです。「運命はこう扉を叩く」という、第5交響曲をめぐるあの有名な言葉も、出どころはシントラーただ一人でした(この逸話の検証は別稿で詳しく扱っています)。

その自己演出のために、彼は他の関係者を遠ざけることも忘れませんでした。晩年のベートーヴェンを支えた別の友人たちの役割を小さく描き、自分を「唯一の理解者」として中央に据えたのです。

問題は、こうして都合よく整えられた肖像が、最初の本格的な伝記という地位ゆえに、その後一世紀以上にわたって標準になってしまったことでした。後世の評伝も演奏会の解説も、知らず知らずのうちにシントラーの色めがねを受け継ぎ、私たちの「ベートーヴェン像」を形づくっていったのです。

消された、もう一人のベートーヴェン

捏造によって塗り固められた「楽聖」像は、本物のベートーヴェンから、いくつもの大事な顔を消してしまいました。

実際のベートーヴェンは、もっと不遜で、自由な人でした。友人ズメスカルに宛てた手紙では、相手を「わが親愛なるスキャンダル収集人男爵様」とからかい、説教はお断りだと突っぱねています。

力、これこそが卓越した者にとってはモラル原則なんだ。

(ベートーヴェンの手紙、ズメスカル宛。出典:青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社ライブラリー、p.116前後)

行儀のよい道徳家ではなく、世間の枠に自分を合わせようとしない、生粋の自由人。それが手紙から立ちのぼる素顔です。

彼の政治的な顔も、同様に薄められました。ベートーヴェンの友人たちの多くは共和主義者で、本人も、警察国家だった当時のオーストリアで、特権階級をもっとも手きびしく批判していました。

会話帳には、「そんなに大声を出さないで――あなたの人相は知られすぎているのですよ」と友人が書いて警告した跡さえ残っています。

メッテルニヒ体制下では、芸術家が政治的とみなされること自体が危険でした。ベートーヴェン唯一のオペラ「フィデリオ」が、隠された自由の理念を検閲官に見抜かれて上演禁止寸前まで追い込まれ、台本作者が「これは非政治的な作品だ」と弁明してようやく許された時代です。

政治色を消し、当たり障りのない道徳家としてのベートーヴェンを広めたシントラーの肖像は、こうした時代の空気とも、都合よく噛み合っていました。生々しい人間や政治の手ざわりは、なめらかな大理石像へと削り取られていったのです。

訂正の系譜 ── セイヤーから青木へ

歪みを正そうとする試みは、早くから始まっていました。アメリカの研究者アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーは、当初シントラーの伝記を英訳するつもりでヨーロッパに渡りながら、調べるほどにそれが偏見と悪意にみちた名声欲の産物だと気づき、方針を転換します。

ボンの古文書から会話帳、スケッチブック、古い広告にいたるまで、一次資料だけで生涯を再構成する――その執念が、今日も基本文献とされる大部の評伝に結実しました。ベートーヴェンの旧友ヴェーゲラーとリースが1838年に出した回想録も、誤りや誇張はあるものの、本物の友情に裏打ちされた貴重な証言です。

青木やよひの『ベートーヴェンの生涯』も、この訂正の系譜に連なる一冊です。青木は本の冒頭で、後世がシントラー由来の偏見と誇張によるベートーヴェン像を受け継いできたと述べ、こう問いかけています。

私たちはこの芸術家を、

いわば偏見のめがねを通して見ていたのではなかったろうか。

(青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社ライブラリー、p.12前後)

その問いに答えるべく、青木は、愛の喜びも苦悩もためらいも絶望も含めて、一人の人間としてのベートーヴェンを、ありのままに描こうとしました。

それでも、という視点

ただし、シントラーを単なる悪人として切り捨てるのも、また一面的かもしれません。近年の評価は、もう少し複雑です。

彼は、音楽家として大成できなかった自分の人生を半ばあきらめ、その代わりに偉大なベートーヴェンの人生を語ることに、執念を燃やした人物でもありました。捏造は、その歪んだ献身の産物だったとも読めます。

皮肉なことに、彼のでっちあげた数々の逸話こそが、二百年にわたって人々をベートーヴェンへ惹きつける、不朽の物語を生み出しました。破棄を免れた会話帳が今日まで残っているのも、もとはといえば彼が手元に置いていたからです。

罪は罪として、その人間的な業のありようまで含めて見つめること――それが、捏造の発覚から半世紀を経た今の、成熟した向き合い方なのでしょう。

結び ── 大理石像の下の素顔

ベートーヴェン像の歴史は、史料を鵜呑みにすることの危うさを教えてくれます。最初に語った者の都合で、一人の人間の姿は、これほど大きく変えられてしまうのです。

けれど、捏造の層をはがした先に現れるベートーヴェンは、大理石の楽聖よりもずっと人間くさく、その分だけ、ずっと魅力的です。

「運命はこう扉を叩く」という言葉の検証は別稿で行いました。沈黙へ向かいながら頂点へ駆け上がった生涯そのものは、前編・後編で辿っています。


参考文献

主要参考文献

  • 『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ/平凡社(平凡社ライブラリー)/2018年(原本:平凡社新書、2009年)

書籍内引用

  • ベートーヴェンの手紙(ニコラウス・ズメスカル宛、1798年頃)

補足参照

  • アントン・シントラー『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記』(1840年初版/1860年第3版)
  • アレクサンダー・W・セイヤー『ベートーヴェンの生涯』(一次資料に基づく評伝)
  • ヴェーゲラー&リース『ベートーヴェンに関する伝記的覚書』(1838年)
  • かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 ── 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房、2018年/河出文庫、2023年。2025年映画化)
  • 「アントン・シンドラー」日本語版Wikipedia(会話帳改竄・秘書期間に関する整理)
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